2016年10月の記事

2016年10月31日

ポンピン堂の製品について

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ポンピン堂製品の守袋と合財袋のベージュの生地が生産中止とのことで、上記の柄の守袋と鳩柄の合財袋につきましては今後の入荷はありません。在庫は数点づつこざいます。

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カテゴリー:店舗ニュース |  コメント (0) |  投稿者:兵藤 由香

2016年10月4日

写真展 さ迷う『山田脩二・日本晴れ』展 あっちこっちで…

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山田脩二さんが、今年の6月からゾロ目の一日限りの写真展を開催されている。

6月6日沖縄・コザ十字路、7月7日青森・津軽半島十三湖のスクールバス待合所、8月8日新潟・寺泊良寛堂と行脚。ご本人から「次は9月9日、福島県を南から北にさ迷い?流れる阿武隈の河口、亘理大橋の右岸、荒浜集落の”浪切地蔵堂”です」という筆書きの案内状が届いたならば、これは半ば脅迫状であり、行かない訳にはいきますまい。

こんな機会はなかなかないので、息子を連れて出かけました。
ご承知のとおり、東日本大震災後、常磐線は一部運行休止となっており、最寄駅の亘理駅へは仙台から向かう事になります。その仙台で宮城の酒を数種類調達(山田さんに会うのですから酒抜き、はありえません)し、常磐線に乗車します。電車好きの息子は、ボタンを押して開閉する扉に喜んでいました。

亘理駅へはこの写真展全てに参加されている同行のUさんと山田さんが車で迎えにきてくださることになり、それまで駅周辺をぐるっとしようと西口改札を出ます。先ず目に留まったのは「亘理駅の駅名由来」のプレート。

亘理という地名は、今から約1200年前に書かれた「続日本紀」の中に「日理」という表記で初めて登場します。日理郡がいつ置かれたのかは定かではありません。

日理を「互理」または「亘理」と表記するようになったのは、江戸時代中期以降と言われています。

「わたり」とは、大和民族が南西から東北へ進出していく道筋で、川の渡し場やその付近の土地に名付けた一般的な地名です。現在の亘理がその最北端で、これより北に「わたり」という地名は見あたりません。

慶長7年(1602)には、伊達政宗の従兄弟にあたる伊達成実(しげざね)の所領地となり、亘理伊達氏2万3千石の城下町として繁栄してきました。

この地名の由来を受けて、明治30年(1908)11月10日、常磐線が当地に開通した時、亘理駅が開業しました。

参考資料 郷土「わたり」創刊号

なーるほどー、と思って歩き始めると、東口側に大きなお城が見える。なんじゃあれは!足はすでにそちらに向かっていました。その名は悠里館。外観は天守閣を模した城郭風建築で中には町立図書館、郷土資料館、FM放送局あおぞら、亘理山元商工会が入っているそうな。
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まもなくして颯爽と現れた山田さん。喜寿になられましたが、足取りの軽やかさは変わりません。7年振の再開で、息子とは初顔合わせです。
昼食に名物はらこ飯(炊いたご飯の上に鮭の身とイクラをのせたもの)をいただき、阿武隈川河口方面の土手近くに向かいました。
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浪切地蔵堂がある荒浜地区は、東日本大震災での被害があり、津波も襲いました。未だ工事が続いています。
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この地蔵堂の縁起がまた興味深いのです。案内板の内容をまとめました。
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江戸時代後期に福島県安達郡岩代町小浜(現二本松市小浜)において「万人子守地蔵尊」として祀られていたこのお地蔵さま、大雨でここに流れ着き、「浪切地蔵尊」として祀られるようようになったそうです。
小浜の人々はもとより、伊達政宗の父輝宗も信仰するほど子どもの守護神として篤く信仰さていました。地蔵尊を失った小浜で疫病が蔓延した折、荒浜の人々が木像に刻まれていた記銘を頼りに小浜に送り届けて元のお堂に安置されると疫病が治まり、小浜の人々からたいそう感謝されたと伝わっているそうです。
その後、荒浜では石の地蔵尊を彫り、改めて浪切地蔵尊として祀り、海上の安全、地域の安全、子どもの健やかな成長を願う象徴となりました。隈崎の「浪切地蔵尊」は明神西の「阿武隈地蔵尊」(震災後移転)、当行寺の「正徳地蔵尊」と共に、荒浜三大地蔵として信仰され、夏祭りが行われていたそうで、地域の人々に親しまれていました。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波により甚大な被害を受け、地蔵堂の場所が復興事業のかさ上げ道路の用地となり存続の危機となりましたが、地元住民の切なる要望と東日本大震災の津波被害を伝えていくための遺産として現在地に移転した。
とあります。

今月10日は、岩手県山形村荷軽部の(有)谷地(やち)林業さんのご協力で「炭焼窯」での展示です。炭焼窯がずらりと連なっているそうですよ。
詳しくは、山田脩二さんの達磨窯プロジェクト「脩」のサイトをご覧ください。
http://darumagama.com/
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<かわら版関連記事>
2010年出版の写真集「山田脩二 日本旅 1961-2010」について書いたもの
2010年12月7日ページへ 

山田脩二さんとの出会いについて書いたもの
2010年5月7日ページへ

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