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2010年12月4日

「崖っぷちの木地屋」村地忠太郎のしごと 松本直子著
未来社

お世話になっているスタジオ KUKUの谷恭子さんが、KUKU便り「こころもよう」を2、3ヶ月毎にお届けくださっている。A4用紙を三つ折りにした横書きのもので、工房のある信州小諸の季節の移り変わりや、展覧会のこと、身の回りの出来事などが写真とともにつづられていて、毎号楽しく読んでいます。前号で、「9月に松本で開かれた『木の匠たち』展に、村地忠太郎氏がいらした」、「93歳の現役の職人さんは、優しいまなざしで笑顔で接し、作品をご覧になるときは、時に真剣に厳しい目で見入っておられました。」とあり、終わりに、表題の本を紹介されていました。93歳の現役の職人さん!!これだけでも私は大変に興味を持ち、また「崖っぷち」という言葉にロックンロール的な響きを感じ(反骨的な趣に惹かれるのか)、本を取り寄せました。

著者の松本直子さんは、上松技専での訓練終了後、村地氏との運命的とも言えるご縁で弟子になります。彼女のリズム、話しの内容、わかりやすい文章のお陰で、興味深く一気に読んでしまいました。強い意志と前向きで明るい性格、行動力に魅力を感じます。彼女が師匠村地氏の事や、かつて木曾福島でつくられた春慶塗りの事をこの本で伝えてくださった事をありがたく思います。

村地忠太郎氏は木曾福島で生まれ、14歳で生家の木地屋の仕事に就き、今も現役の木地師として仕事を続けておられます。仕事場が「崖屋造り(平地の狭いこの地方では、川岸ぎりぎりまで家を建てるそうで、道路に面する表側から見ると平屋に見える建物でも、裏手の川側から見ると平屋に見えていたところの下に部屋があり、二階建てまたはそれ以上になっている造りのことだそうです。)」で、木曽川川岸の崖っぷちにあるのも、このタイトルにかけているようです。

本書から村地氏の真摯で実直、妥協はなく、淡々と日々精進されておられる姿勢が伝わり、心打たれます。若い方々の作品も積極的にご覧になり、好奇心と探究心を燃やされている、脱帽です。時にユーモラスな所がまた魅力です。

著者はこう書いています、

村地忠太郎のしごとが貴重なのは、木地屋として、「木曾漆器」のなかでも、特に明治の中頃に始まり、昭和中頃に絶えてしまった「ヘギ目」の「木曾春慶」の木地をいまも伝えていることだ。

「ヘギ目」。その美しくも、堅牢な目。
機械や鋸で木を挽くのではなく、「木を割り」、「木をへぐ」から、木の目は切れることがない。上から下まで貫くように目が徹っているので、「ヘギ板」は薄くとも丈夫だ。そして、「ヘギ板」でつくった器は驚くほど軽くて、品が良い。

かつて漆器を送る時に、破損を防ぐよう角々に「ヘギ板」をかませていたそうです。明治の中頃、東京の問屋がその美しさに気付き、ヘギ目を活かすことを木曾福島の塗師屋に進めたというのが、この地で「ヘギ目春慶塗」がつくられるようになった始まりと言われているそうです。

著者と村地氏の出会い、村地氏と谷さんとの出会い、その谷さんとの出会い、巡り合わせのご縁に感謝します。

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カテゴリー:本(工芸・うつわ) |  コメント (0) |  投稿者:兵藤 由香

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